【前回記事を読む】「来年の桜は見られそうにないねぇ」夫が生まれたばかりの娘を抱いて戻ると、病床の妻は愛おしそうに頭を撫でた。だが夫はなぜか仏頂面で……

Case:C 娘の選択

「それじゃ姐さん、俺はこの辺で失礼します」

「えー? もうちょいおりんさいや」

「いえ、そんな。家族水入らずの時間を邪魔するわけにはいきませんし」

「そんな遠慮せんでええのに。もう、虎ちゃんが怖そうな顔して入ってくるけぇよ」

竹虎は返事をしなかった。

「虎ちゃん?」

「ん?」

「なんかあったん?」

「何もねぇよ」

「じゃあなんでそんなにはぶてとるん?」

「はぶててねぇって。雛菊を抱っこしてブラついてたら入院してる爺さん婆さんがしょっちゅう寄ってきて鬱陶しかっただけだ」

「みんなエエ人らなんじゃけ無碍にしたらアカンよ?」

「分かってる。お前はいらんことに気ぃ回しすぎなんだよ。それよかちょっとヒナのこと任せていいか?」

「ええけど、どしたん? 帰るん?」

「いや、ちょっとヅカ坊と話があるだけだ」

竹虎は「行くぞ」と鬼塚に声を掛けると、戻ってきたばかりの病室をあとにして遠く離れた喫煙室を訪れた。

「おやっさん、どうでした? 検査結果は……」

「タバコくらい吸わせろ」

「あ、すんません……」

慌てて懐からライターを取り出す鬼塚。ややあって紫煙が立ち昇る。場所が場所だからか、線香の煙に見えて仕方がない。

「姐さん、気丈にふるまってますけど相当しんどいんだと思います。以前は俺と話す時でも体を起こしてましたけど、今日はおやっさんが来るまではずっと横になってましたし」

「だろうな」

「それじゃあ、やはり……」

「例えばの話なんだが」

「え、あ、はい」

「悪性リンパ腫って診断された嫁がガキを産みたいって言ったらお前はどうする?」

それはあまりにも唐突で雑な導入だった。喩え話だと前置きしているがこの状況で意味もない仮定をするはずがない。

「病気の……程度によるとしか」

「悪性リンパ腫の治療は抗がん剤や放射線がメインだ。だけど妊娠してっとよ、赤ん坊の発育を妨げちまう可能性があるから治療の開始時期や治療内容の決定には慎重にならざるを得ねぇ。出産まで悪性リンパ腫の治療が延期できりゃ一番いいんだが進行の早いタイプのリンパ腫じゃ、思うように延期できないこともある。

そんな状態で医者から出産が命がけになると言われたら? それでも嫁が産みたいと言い張ったら?」

「それは……」

「どうしても産みたいって涙浮かべながら懇願されたら『駄目だ』なんて言えねぇだろ。だけどよ、ガキなんざ……そうまでして作るもんじゃねぇな」

それだけ言い残して竹虎は全くと言っていいほど吸ってないタバコの火を消して喫煙室を出ていく。鬼塚はその後を追えなかった。

翌年の春、鬼塚は桜良の墓前に一房の花を供えた。桜が見たいと言った彼女に対する、せめてもの手向けだった。