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第三走者 吟(ラブラドール・レトリバー) 平成十四年~平成三十年
コレクション
物置やら納戸があちこちにあるからだが、何世代にもわたって住んでいる古い家ならではのことだ。引っ越しか建て直しでもしていれば、さすがにもう少しガラクタは少ないだろう。だが私で六代目ともなる酒屋は、古い物にこと欠かない。
「昔はおおがないで、大変だった。毎食三十人分の食事を用意したからね」と、母は思い出しては言う。おおがない、とは大人数の賄(まかな)いという意味だろう。
竈(かまど)に火をおこし、毎食七升の米を炊き、味噌汁と漬物を用意し、昼には昼なりの夕食には夕食なりのおかずを用意する。
時には「今夜は夜業だ」と言われると、夜食も用意する。
たいがいは塩むすびと沢庵ぐらいのものだが、女衆は朝から晩までおさんどんに追われた。
スイッチ一つでごはんが時間通りに炊き上がる現代からすれば、昔の日常の暮らしには、今では考えられないほどの労苦がいった。近くに弁当を売っている店があるわけでもなく、酒造りの蔵人(くらびと)から瓶詰要員、配達員や事務員、さらに大勢の家族(親戚や居候もいる)の胃袋を満たすのは、大変な労力と知恵がいったはずである。
大勢が食事をする分、物置には御飯茶碗や汁椀、どんぶり、古めかしい色合いの取り皿などが、何十人分も残されていた。食器だけでなく釜や鍋もある。古い蔵の中にはお客さま用の食器、お正月やお祭りなど特別な日のための塗り物のお膳も一式(四十膳単位で)しまわれている。
いつかは全部きれいさっぱり処分するなり片付ける必要があるだろうと思いつつも、なかなかできない。 九つの仕切りの付いた縦長の棚は、吟が遊ぶボールを入れるのにちょうどよい大きさだった。
一番上にはお気に入りの硬式テニスボール、二番目は野球ボール、三番目はゴムボール。
黄色に赤に、青に紫。
遊びたいときには、吟はその棚の前にじっと佇み、一声「ワン」と鳴いた。