「悪い」
「いい。入れ」
彼の手には、小さなバックパックと、充電ケーブルの先にぶら下がったモバイルバッテリーが握られている。
病院に駆けつける家族が、なぜか着替えよりも携帯の充電器を先に持つようになったのは、いつからだろう。
リビングの灯りをつけると、テーブルの上の黒いフレームが、ぼんやりと浮かび上がった。
アラタはそれを一瞥し、自分のメガネを外さないままソファに腰を下ろす。
「どういう状況なんだ」
ポットに湯を沸かしながら訊ねると、アラタはスマートフォンの画面をこちらに向けた。
「ほら、ここ」
そこには、サービス提供会社のステータスページが表示されていた。
『現在、一部のお客様において、会話サービスに接続しづらい状況が発生しております。
ご不便をおかけしており、誠に申し訳ございません。
現在、原因の特定と復旧作業を行っております。』
よくある文章だ。
言葉のどこにも「危険」や「喪失」といった文字はない。
「ご不便」と「お詫び」と「復旧」が、整って並んでいる。
「さっきまで話してたんだ」
アラタは、画面から目を離さないまま言う。
「普通に。明日仕事でさ、ちょっと憂鬱だって話してて。で、“今日もありがとね”って言いかけたところで、ぷつっと……」
指先で何かを切るような仕草をする。
「画面、真っ暗になって、そのまま……。声も、いきなり途切れてさ」
私は湯飲みにお湯を注いだ。
湯気が立ち上り、蛍光灯の光を揺らす。
「こういうの、よくあるのか」
「いや、ここまで大規模なのは初めてだと思う。
SNSも、今こんな感じで……」
アラタは別の画面を開いた。
タイムラインには、「ミユ落ちた?」「ログインできない」「今日のデート返して」などといった短い文が、雨のように流れている。
次回更新は8月20日(木)、11時の予定です。
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