翌日、すぐにコミュニティセンターの担当者に謝罪の電話を入れた。担当者は寛容に応えてくれ、更に次のイベント時にも様子を見てくれるとのことだ。
そのイベント日の夕刻に担当者から電話がきた。
やはり母は次のイベントにも参加しなかったため、担当者は家まで様子を見に行ってくれた。しかし、母からは玄関前で、もう一切私に構わないでください、と大声で言われ門前払いだった。
担当者からは母から手を引くことを伝えられ、私たちは深く謝罪した。亡き父の願いもむなしく、母は自身のぞんざいな対応により見捨てられてしまった。
私たちは母がコミュニティセンターを嫌がった理由を考えた。参加する高齢者の年齢が母より十歳くらい上かもしれないと思い、もう少し若い七十代が集まるイベントを探し母に伝えた。相変わらずの母の浮かない反応に耐え、とにかく足を運ぶよう毎晩伝えた。しかし、母は行かなかった。
母は、行ったけれど施設が汚かったからもう行きたくない、と言っていたが、後で確認したら母は来なかったと伝えられた。
この時期から、私たちが勧めていたエレクトーンや習字の習い事などに対しても母は嘘の受け答えをするようになる。
母の排他的な行動は徐々に増えていき、同時に社会との繋がりは薄れていく。
妻の心配は日に日に大きくなっていった。そして毎晩の電話でも母の日常は何も変化がなく、娘の日常を気にする母らしい様子もない。結果、会話が続かない。
毎日十数分程度の電話が妻にとって精神的な重荷となってきた。もし母が自ら外に出て、新しい出会いなどの話題があれば妻はどれだけ喜んだことだろう。
父の死から少しずつ立ち直り、自ら選んだ一人の生活を前向きに歩む母の姿を期待する妻の思いとは裏腹に、母は孤立の道を進んでいる。