突然、バリトン歌手のような低い声が葵の体を射抜いた。振り返るとマスターとはまた違った渋みがある中年の男が立っている。歳は三〇代後半といったところか。髪やヒゲは綺麗に切りそろえられており、ジャケットの上からでも分かるほど筋骨隆々とした体は少し力を込めれば漫画のようにはち切れてしまいそうだ。

「学校には来ないでって何度も言ってるじゃない。ばか鬼塚」

「連絡もなく放浪するお嬢が悪いんです。学校帰りにご友人とお出かけするのは結構なことですが、心配する俺の身にもなってください」

正論で諭された雛菊はプイッと擬音が書き加えられていそうな動きでそっぽを向いた。

「まったく……。どなたかは存じ上げませんが、お嬢のわがままに付き合わせてしまい、申し訳ございません」

「あ、いえ、元はと言えば私から声を掛けたようなものなので。こちらこそすみません。遅くまで連れ回すようなことをして……」

「お嬢が無理を言って振り回りしたりしませんでしたか?」

「そ、そんなことないです。学生さんなのに凄くしっかりしていますし」

葵はヘコヘコと赤べこのように頭を下げているが、鬼塚も負けず劣らずの平身低頭具合である。雛菊はそれすらも気に食わないらしい。

「もう。行くわよ鬼塚」

「待ってくださいよ、お嬢」

「葵さん。今日はありがとうございました。また連絡します」

「あ、うん」

葵は呆気にとられながら二人を見送り、マスターと目を合わせてお互いに苦笑いを浮かべた。

ローファーをカツカツと鳴らしながら地上に出ると眼前に高級車がそびえ立つ。不必要に目立ち、通行人の邪魔になっている車を見て雛菊は溜息が抑えられなかった。

「ばか鬼塚。こんな目立つところに番長停めしないでっていつも言ってるのに」

「あっちこっち探し回ったもんで丁寧に駐車するヒマなんてなかったんですよ。見張ってないとすーぐどこかに行く困ったお嬢さんのせいでねぇ」

「あぁもう、ごめんてば。謝るから早く開けてよ。寒い」

雛菊は緑色の血管が透けて見えそうなほどの白い肌を持っているが、耳や鼻は真冬の冷気にさらされてたちまち赤くなってしまった。

「こんな真冬にスカートを三回も折るからですよ。大人しく厚手のタイツでも履いててください」

「なんで三回折ってるって知ってるのヘンタイ」