【前回の記事を読む】鬱病も治り、「天使のように自由」なはずだったが――兄の一言で、朝10時前から夜11時まで店で働く羽目に
その3.そしてアメリカへ
「漸くこれで、メキシコへ行けるよ」
と、彼は嬉しそうに言った。早稲田の演劇を出た彼は、ラテン音楽を初め、中南米の文化を愛し、アメリカで半年働き、半年、メキシコで遊ぶという生活を繰り返していた。そろそろ金がたまったので、メキシコに行きたかったのだが、人手が足りず、兄に懇願されて居残っていた、という。兄が、あれほど、急かせた理由が初めて分かった。
ともかく、Cさんがメキシコに発った翌日から、私の地獄は始まった。
酒を飲んで、無理やり眠るが、一時間で目を覚ますことから始まって、明け方に少し眠くなったと思うと、兄たちも起き出して朝食の時間となり、食欲の丸でない胃にトーストとベーコンエッグをコーヒーで流し込むと店に行く時間となる。
店に着くと、ドレッシングから始まり、冷たい餡に指の感覚が、すぐなくなるのに辟易しながら、大量の餃子を作ったり、主にレタス、キューリ、ミニトマトで、ランチ分の野菜サラダ、そのドレッシング等、Cさんがボールペンで書いた「マニュアル」通りに必死にこなそうとするも、当初は全然、間に合わなかった。
それで、キッチンで兄のヘルパーをしているK が、料理の合間に作らねばならず、露骨に嫌な顔をされた。そう、兄が話していた、父親が作家のKだったが、彼の父親の話を暢気にするどころではなかった。
八席の寿司カウンターと三十席ばかりのレストランだったが、ある時など、七回転した。そういう店で、生まれて初めてディッシュウォッシャーをした私は、その時初めてディッシュが丸い皿ばかりでなく、和食用の弁当形式の容器も指すことと、それだけでなくグラスも洗わねばならないことを知った。
グラスをピカピカにすることは当初、諦めていたし、その漆器製の和食容器が兎に角洗いにくい上に、華奢にできているので、割れやすく、辟易した。しかも、それは、日本から取り寄せるので、すぐ補充できない。
私が行った時、三十席に対し、既に四十個くらいしかなくなっていた。そして、私も無論、割った。するとどういうことになるかと言うと、食べ終わった客の皿をすぐ下げ、すぐ洗って、キッチンに運ばねばならないことになり、それでも間に合わないし、ウエイトレスから油が取れていない、と苦情が来る。
その度に、既に鬱的になっている神経に、ビンビン響くのだが、手を休める暇はない。客が二回転もすると、すぐ皿がなくなるので、料理を作り始められない、と、Kが真っ青な顔をして、大きなシンクが二つある部屋に飛び込んでくる。
最初、包丁を持って飛び込んで来たときは、びっくりして容器をシンクに放り出して身を引いたが、Kは何かを喚きながら、必要な分の皿だけを手早に洗って、キッチンに戻ったのでほっとした。
ともかく、店に着いた十時前から働き詰めで、午後二時半くらいの賄の食事が終わった後は、五時から始まるディナーまで休憩なのだが、積んである皿洗いが終わらないので、五時前の準備まで休むことができず、そのまま十一時まで仕事が続く。