【前回記事を読む】芥川龍之介から太宰治などの「自死」の系譜に暗く影を落とした、文化習慣とは? 作家がナマの本性を解放できる環境だからこそ…
九十九里の草庵「芥川荘」 芥川龍之介
【この芥川荘にちなむ作品】
芥川の年譜にも「1915年(大正4年)10月、代表作の1つとなる『羅生門』を「芥川龍之介」名で『帝国文学』に発表。
1916年(大正5年)には第4次『新思潮』を発刊し創刊号に掲載した『鼻』が漱石に絶賛される」といった時期に相当している。
この一文では建築と文学の仕事の関連を考えているけれど、明示的な資料にはないがどうも作品としては『芋粥』(1916年)がこの滞在期間に描かれたものだと想像できる。
~芋粥を腹一杯食べたい、という欲望を大事に持っていた人物が、突然その欲望を他人の力で満たされる事になり……夢見る幸せと、他力で叶う味気なさ。
~妻になる女性にあてた恋文中で書かれた「仕事」の実質とは、間違いなく著述作業であったことは疑いようがない。
ただしこの当時の時代背景の中で作家稼業で巨万の富を得られたとは思われない。
しかし、師である夏目漱石にその才能を激賞されて注目を浴び創作に意欲を燃え上がらせていたことは間違いないだろう。