一方できちんとした手紙文章については、楷書とまでは言わないけれど、一字一字、丁寧な筆遣いで「克明」感がある。
「敬啓」という文頭熟語はイマドキのPC辞書では発見できない。たぶん「敬って」「申し上げます」みたいな内意を表現したと推測できるが、芥川の存命当時はまだ明治の日本語共通語改革が完全には成立していない時期だと思えるので、かれ芥川としては気に入った文頭語として独自に創始したものだろうか。
作家たちの表現について見てくると、こういう表現の現場としての感覚は、いわゆる「国語審議会」みたいな権威主義的な枠嵌めからははるかに縁遠いと感じさせられる。
言葉というのは生々流転、イキモノであっていっときも立ち止まってはいない。むしろ作家は、そういった「固定化」を嫌悪し、あらたな生命を言葉に吹き込もうといつも戦っていたのではないかと思う。
あるいはもっと進んで、恩師・夏目漱石たちが必死に取り組んでいた近代日本の文化基盤としての共通語創造作業に対して、リスペクトしつつ芥川オリジナルの文章表現を社会に提案していたのかもしれない。
東京帝大文学部学生としての国家的役割の自覚、明治末・大正初期の国語文化創造の民族的使命感の一端がそこに示されてもいるようだ。
先般来見てきている「恋文」については、このような肉筆は公開されていない。
恋情という生々しい心情吐露において、その書き方が行書だったか、草書だったかは、非常に興味深い。恥ずかしながら自分事の記憶を思い返してみても、そのあたりは明瞭ではない。また当然、追確認する術(すべ)もほぼない。
コピー装置のない時代、一期一会としての書き文字にはそういう「魂魄(こんぱく)」のようなものも託されていた。
司馬遼太郎の著名な作品『街道をゆく』のなかの『本郷界隈』篇では、夏目漱石らの明治国家初期の文化創出期の人間像、その苦悩ぶりなども表現されているけれど、その直系ともいえる芥川にも日本共通語創出期の熱気を感じさせられる。
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