私も、立ち上がって頭を下げていた。
目上に対するのとも、初対面の若者に対するのとも違う、奇妙にぎこちない角度だった。
「ミユです」
彼女はそう名乗った。
ひらがなかカタカナか、漢字かすらわからない名前だ。
しかし、音の響きは柔らかく、呼びやすい。
「お父さん」
息子が、少し楽しそうな声で私を見る。
「彼女の、ミユ」
紹介の言葉が、ようやく出そろった。
私は一瞬だけ目を閉じ、それからソファに座り直した。
「遠いところを、わざわざ」
口をついて出た言葉が、あまりにも古風で、自分で笑いそうになる。
遠いのは距離ではない。ここまで届く回線の向こう側の、どこかだ。
「いえ。アラタさんのお父さんのおうち、とても居心地がいいです」
ミユは、ほんの少しだけ目線を動かした。
その視線の先には、妻の花瓶がある。
彼女の視線は、まるでそこに生花が挿してあるかのように、柔らかく止まっていた。
「すてきな花瓶ですね。形が、すこし、波のようで」
私は思わず、花瓶を見た。
埃は、ちゃんと拭き取ったつもりだが、近くで見ると、ところどころ拭き残しがある。
「妻が、買ったものだ」
そう告げると、ミユは小さく頷いた。
「アラタさんのお父さんよりも、色のついたものがお好きだったのですね、奥さまは」
唐突な指摘に、私は一瞬息を呑んだ。
花瓶の色は、深い青だ。
他にも、妻の選んだカーテンの柄や、クッションの色が、この部屋の中に点々としている。
私自身は、地味な色ばかりを選ぶ癖がある。
「どうして、そう思う」
「この花瓶と、カーテンと、クッションの色合いが、似ているからです。色の組み合わせに、一貫した好みがあるように感じました」
淡々とした分析。
だが、その指摘はたしかに正しい。
私は、自分がそのことに気づいたことがなかったのを、いまさら恥ずかしく思った。
「すみません。分析的すぎましたか」
ミユは、ほんの少しだけ首をかしげた。
その仕草は、あまりにも自然で、反動としてのぎこちなさがない。
だが、その「すみません」という言葉の後に続く間が、どこか計算されたもののように思えた。
「いや……」
私は首を振る。
次回更新は7月9日(木)、11時の予定です。
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