しかし、一か月経ち、半年が過ぎ、一年、そして十年の月日が経ち、貢が高校二年の夏休みになっても、貴和子の「あの子はまるで天使」の評価は変わらなかったのである。その不自然さに、卓也は少しずつ得体の知れない黒い雲が快晴の空を覆い始めているような気持に囚われるようになっていった。貢を迎えたあの日に払いのけたはずの黒雲が。

どこがどうというわけではない。漠然としているからこそ、却って邪悪であることを示唆するかのように完璧な息子。そしてそれを称賛し、異常なまでの愛情を注ぎ続ける妻――そこには、卓也が思い描いていた血の通った家族の姿は見当たらなかった。

恐れていた日がついにやってきた。

ある日、帰宅すると、貴和子が暗いリビングで泣いている。深夜近くだというのに灯りも点けていない。彼は驚いてまず電気を点け、妻の元へ近寄った。

「どうした? 何かあったのか?」

卓也の問いかけに、貴和子はさらに号泣した。妻の涙が収まるまで、卓也は辛抱強く待つことにした。

望んだこととはいえ、慣れない母親業を突然担うことになった貴和子には口に出しにくい苦労もあったのではないか? あんなに欲しがっていた子供が手に入ったのに不平不満を口にしたらバチが当たる、どんなことがあっても、自分はこの状態に一〇〇パーセント満足しなければ……そんな思いが貴和子に圧力をかけていたのではないか?

卓也はそう慮ったのである。子供ができないことで一度も夫である自分を責めなかった妻の優しい性格を、卓也は誰よりも知っていた。

「何か困ったことでもあったのか?」

貴和子はただただ首を横に振るばかりだ。

「貢が、何かしでかしたのか?」

この質問に、実は卓也は賭けていた。そこに何らかのヒントがあれば、世の中の家族像に一歩近づけるチャンスではないかと期待したのである。しかし貴和子は首を横に振った。

「無理しなくていいんだよ。君はこの十年、本当に頑張った。もし貢に何か欠点を見つけたとしても落胆することはない。それが普通の人間の姿だからだ。その方が健全だよ」

そのあとに貴和子が放った言葉が、卓也を恐怖に陥れる発端になった。

「違うわ。あの子は完璧。欠点なんかどこにも見当たらない。

毎日完璧な息子と暮らす私の気持ちがわかる? 私はまるで自分をゴミか何かのように感じるの。取るに足りない無用のもの。

あの子はいつも私を冷徹な目で見る。凍った湖のように透明な目でね。私の愛情なんて一ミリも必要としていない。私は完璧な主人にびくびくしながら仕える奴隷。常にあの子に評価され、判定され、駄目出しされているみたい。あの子といると私、死にたくなるの」

卓也は事態がただならぬ方向に向かっていることを察知した。いや、向かっているというのは控えめな言い方だろう。事態はのっぴきならないところにまで来ていたのだ。

 

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