第一部 午後六時
「俺、昔バーテンやってたことあってさ」
「そうなの? 知らなかったわ」
「ほんの一時期だし、ほかにも言えないような仕事もいろいろやってたから、偉そうなことは言えないんだけどね」
「なんでまたバーテンなんか」
「超有名なイギリスのスパイ映画で、主人公がカクテルのウォッカ・マティーニを注文するシーンがあるんだけど、ステアじゃなくシェイクでって言うんだよ。その拘(こだわ)りみたいなのが滅茶苦茶カッコよくて、ちょっとその世界を覗いてみたくなってね」
「で、実際どうだったの」
「筒形をした銀色の玉手箱みたいなシェイカーを上下に素早く振ってると、現実と夢の境界線が徐々に曖昧になってきて、いつのまにか無心になるんだ。昼間の表通りの喧騒や路地裏の静寂、男や女、冷たさや温かさ、澄んだものや濁ったものなんかが全部混ざり合って、言ってみればカオスの状態のままグラスに注がれる……それが夜の匂いそのものなんだよ」
「夜の匂い……それ、私も嗅いでみたいな」
「あとでお前さんにも何か作ってやるよ。シェイカーはないから、ステアで」
本庄貴和子(ほんじょうきわこ)は一睡もできないままその日を迎えた。
今日は夫の卓也(たくや)とともに、養子候補となる少年を某養護施設に見にいく日。
見にいくというと、何やら買い物でもするように聞こえるかもしれないが、実際、養子縁組はある意味買い物に似ていた。それが言い過ぎなら、品定め。
七歳未満の男の子であること、知能が高いこと、容姿端麗であること、夫妻の希望はこの三点だった。
こんな虫のいい話はないし、第一こんな子なら児童養護施設になど入れられず、実の両親の元で大切に育っているはずだから、まず無理だろうと半ばあきらめかけていた。