三年に及ぶ不妊治療、その後二人が自分たちの子供を持つことを断念するのにまた三年、そしてついに養子を迎えることに決め、あらゆる手段を講じて候補探しに奔走したが、夫婦が二人とも、あるいはどちらか一方が気に入らず交渉が成立しないまま更に三年の歳月が経っていた。
「なんだか今日はいい予感がするの」
「期待すると落胆も大きいぞ。平常心で臨むことだ」
そう言う夫の声も高揚している。同じ大学の医学部と薬学部で学んだ友人であり、現在は取引先でもある赤羽総合記念病院(あかはそうごうきねんびょういん)東京分院の院長でもある赤羽猪一郎(あかはいいちろう)が推薦してきたことに、卓也は手応えを感じていた。
どうやらある分野で突出した才能を持ち、実績もある、いわば成功者の子供らしい。
「事情で育てられず、里親が見つかるのを待っていたらしいんだよ。正式な特別養子縁組が決まれば破格の持参金もつくそうだ」
製薬会社を経営する一族出身で、自らもその役員に名を連ねている卓也にとって持参金などどうでもよかったが、その成功者というのがいったい誰なのか?には興味があった。
しかし相手を知れば必ずコンタクトを取りたくなるだろう。そこでまた迷いが生まれ、余計な時間を有するのは避けたかった。
一〇年近く子供を熱望しながら母性という本能のやり場を見い出せなかった妻を、これ以上苦しませたくなかった。彼は今日、決めてしまいたかったのだ。
「どんな子かしら?」
「気に入らなければ二人で帰ってくればいいし、気に入れば帰り道が三人になるだけだ」
卓也は貴和子にと言うより、自分に言い聞かせるようにそう言った。