【前回記事を読む】イギリスはフレスコ画の制作に不向きな国だった? イタリア美術とイギリス美術の環境的な違いとは——

第二章 「四天王」比較論からバロックへ

バロックのだまし絵

もっとも早い作例は、帰国後二年の作品『人生の幻想』Life’s Illusions(1849)(図5)である。画面左側に描かれた渦巻き状に回転して上昇していく女性群像に注目しよう。

図5

異時同図の手法は日本では『信貴山縁起絵巻』や『伴大納言絵巻』等の絵巻物に使われてきた伝統的な手法であるが、ヴィクトリア朝古典主義の画家たちの作品にはこれはありえない。

例外的に英国絵画史上ではウイリアム・ブレイクの版画『欲情に溺れた男女たちの渦巻:リーミニのフランチェスカ』The Circle of the Lustful: Francesca da Rimini (1826〜7 1892再販)(図6)を想起する。『神曲』「地獄篇」第五章の挿し絵だ。これはウォッツの霊感源の一つであってもおかしくないが、確証はない。

図6

このような渦巻く人体の上昇図または下降図は、晩年近くになって高度な完成を見た。それがハーヴァード大学の所蔵する『イヴ創造』The Creation of Eve(1865頃〜99頃)(図7)と同じくハーヴァード大学所蔵の『アダムとイヴ断罪』The Denunciation of Adam and Eve(1873頃〜98頃)(図8)とである。

図7
図8

いずれも縦が約150cm、横が66cm程度のキャンバスに描かれた油彩画である。

短縮法と迎視法とをふんだんに利用しただまし絵(クアドラトゥーラ)をイタリアの古寺院や館の円蓋のような立体空間で多数見てきた画家が、それを自国では再現する機会がないがために、2.3対1程度の比率の極端に縦長の二次元空間にいわば転写するような手法を編み出したのがこれだ。

この画法を駆使すれば、人間の視覚メカニズムを利用することにより、三次元の渦巻く流動と奥行きとを、平面上にいわばヴァーチャルに具現することができたのである。盛期ルネサンスもマニエリスムも超えて、バロックのだまし絵が北方の19世紀画家の中で変容・再生された結果生まれた特異な画法と言わざるを得ない。

われわれはこれらの作品を分析し、ウォッツの中にあるバロック的要素の実態を把握することで、この画家の位置付けを修正することを目指す。