第三章 ヴェルフリンのバロック論

ウォッツの絵画がバロック様式の特徴を顕著に示すという判断の根拠はハインリヒ・ヴェルフリン Heinrich Wölffrin(1864-1945)1915年出版の『美術史の基礎概念―近世美術における様式発展の問題』Kunstgeschichtliche Grundbegriffe:Das Problem der Stilentwicklung in der neueren Kunstで展開したバロック芸術論にある。

ヴェルフリンのバロック論は発表されてからすでに百年を超える時間が経過しているが、いまだこれを凌ぐ有効性をもつ判断基準はないと思料する。以下の論述で明らかになるように、この理論が純粋形式論であることが、われわれの課題には適合している。必然的に本書ではヴェルフリンの様式論に準拠して分析を進めるのが私の方法論上の立場である。

共時的差異を基準とする構造主義への転回

ヴェルフリンは古典主義様式とバロック様式とを五組の二項対立をもとに差異化する様式論を展開した。五組の二項対立については後に詳しく述べるが、「ルネサンスからバロックの時代へ向かう変化の実態把握」という意味では、これによって通時的な進化発展の論拠が整備されたように感じられるかも知れない。

しかし肝要なことは、絵画、彫刻、建築の様式上の分析記述を純粋形体論的(共時論的)に行う枠組みが提供されたことである。

これを美術研究上の構造主義への転回と仮に呼ぶとすれば『美術史の基礎概念―近世美術における様式発展の問題』の出版年が、ソシュールの『一般言語学講義』死後出版の前年にあたる1915年であることは単なる偶然とは思えない。ソシュールがジュネーヴ大学で担当していた言語学にも一般という枠がついている。

それは個別の国語をその歴史的変化発展の相で分析記述する研究ではなく、すべての言語に汎通する形体上の法則の探求を指す。ヴェルフリンは自説を基礎概念と位置付けたが、内実は一般美術論なのだった。

航空機を含む近代兵器の進歩が、それを造り使う側の叡智を追い越し一人歩きするという皮肉が始動し始めたという意味で歴史的転回点を画す第一次世界大戦の戦中・戦後に、人類は後のデジタル革命の基礎となる示差のメカニズムのみを頼りに環境を分析・記述する「一般」共時論的手法を芸術の分野でも手に入れたのだ。

ちなみに文学の分野でアメリカ生まれのイギリス詩人、トマス・スターンズ・エリオット T.S.Eliotが「伝統と個人の才」“Tradition and the Individual Talent”と題された評論によって同種の道筋をつけたのは、1919年のことだった。

また、アインシュタインの物理学における一般相対性理論の進展も、第一次世界大戦をはさむ5、6年間で世に知られるようになり、1919年のノーベル賞受賞となった。

 

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