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第二章 「四天王」比較論からバロックへ
レイトン卿との対称性~優美な退廃VS重厚な躍動
ウォッツの肖像画
レイトン卿はロイヤル・アカデミーを空前の繁栄に導いた凄腕の経営者でありながら、ローマ時代へ先祖返りしたような優美な退廃性を壮麗に奏でる交響詩の描き手でもあった。
これに対して、ウォッツの方は孤高を堅持した「変人」であり、時代遅れの「予言者」であったが、その画風はジョットの倫理的な写実性をミケランジェロの勇健さとティントレットの魔術で包んだような重厚な躍動性を基本とする。
つまり、ウォッツにはルネサンス初期から後期に至る変遷過程を通って濾過されたような古代ギリシャの息吹が感じられる。これに対して、レイトン卿は後述する「絶対的な明瞭性」というヴェルフリンの公準を模範的に表出する古典主義を体質とする画家であった。
ただ、レイトンは形体と色彩そのものが絵画の主題となっていく印象派以後の方向へすでに歩み出している。
アルバート・ムーアAlbert Joseph Moore (1841-93)もそうだが、彼らの作品の多くは主題を口実にして、色彩と形体の階和を自己目的的に追求する純粋絵画への接近を見せているのである。
だが、この傾向はまだ付随的な段階にとどまっている。この点が、ヴィクトリア朝古典主義の限界であり、レイトン自身の限界ともいえよう。
結局のところ、ファーストネームは同じフレデリックでも、レイトン卿とウォッツとは画風にしてもその根底にある人間性においても、まったく異質な画家なのである。
イタリア遊学の意義〜バロックへの道
ウォッツは26歳の1843年、国会議事堂装飾壁画案競技で一等賞を獲得、その賞金を資金として三年間のイタリア遊学の機会を得ている。
映像メディアがまったく未発達で、美術印刷の技術も低劣な1840年代、このイタリア滞在は現代人の想像を絶する大きな意味をもつ。
絵画や彫刻を志す人間がエッチングによる粗末な複製や伝聞によるのではなく、実物を実地に見て手本にできることの恩恵をウォッツほど享受した画家は彼の同時代にはいない。
しかしまた歴史的名画を実見することと、その体験を自己の画業に直結させて大きな稔りをもたらすこととは別の問題である。