元々、祭政一致時代から神官であった藤原氏は、天皇家の権威と国家支配には神仏は欠かせない立場と仮託した。この方針に対し、他の有力諸家は神仏との付き合い方を見習い、自分達の氏族に相応しい神仏を分祀又は勧請し、氏寺、神社を参拝、奉祀する礼拝儀式を取り入れた例は枚挙に暇がない。

こうして天皇家と藤原氏の協働路線は、想像を超えて神社仏閣が全国的に普及する一因になった。

中国に朝貢しても、冊封されずに対等の外交関係を築けた政治的安定も、独自の宗教環境を醸成する上で有利に働いた。天皇親政から武家政治に統治体制が画期的に変化した後も、自家薬籠中の氏神、氏寺として護国、現世のご利益、先祖の供養等を基本的信仰の核心に据えている。

神仏と国家、自家の関係は天皇家が構築し、藤原家が範例化し、諸家が継承するという不磨の様式が慣習化した。

遺命として遺しても、子孫も三代目(孫)あたりまでは守れても、それ以降の保証はないので、天皇家と運命共同体的に機能する家門構造を造り上げた。

彼が連綿と複数の子供、一族に託した藤原一門の遺戒は、用意周到に緻密で錬磨されて透徹した分かり易い内容であって、次の七戒(仮称)の類と想像している。

恰も、信者が守るべき宗教の戒律の類に該当し、後人に向けた訓戒、規範の基本綱領となった。

・皇室と天皇を崇敬し、権威を保全する

・皇室が主、藤原家が従の絶対関係を維持・永続を図る

・政治体制の根幹を天皇親政に置く

・藤原氏の氏神、氏寺は伊勢神宮、皇室崇敬の寺院より権威を高めない

・政務は藤原氏が、神祇、祭祀は中臣氏が専念する

・皇室と天皇の権威、地位を凌駕しない

・最高権力執行者となっても天皇には代わらない