【前回記事を読む】持統天皇と藤原不比等、新時代を構築するに相応しい政治的カップリングは如何にして誕生したか
第1章 日本民族及び国家の成立
第2節 国家の成立
第2項 主役の構想
①藤原不比等
執政14年にして天武が没して、更にその4年後、女帝として自らが天皇に即位という青天の霹靂を迎えた。
この一連の経緯を追っていると、少なくとも天武没後の天皇選出に関して、宮廷内で権勢を握った不比等の思惑が強く反映された。
将来の天皇家と藤原氏の不離の相関を構築し、彼の国家観を実現するために権勢の保全、強化の知謀が発揮され始める。
摂関政治の種を蒔き、第45代聖武天皇(701~756)には娘が光明皇后として立后された。
明晰で透徹した政治理念を抱いていた不比等は、女帝からの寵遇に真摯に向き合う。学識に限らず、政務の実行力、企画力に光彩を放ち、在任中に大宝令(701)、『古事記』(712)は完成し、『日本書紀』(720)もほぼ完了した。
記紀の2冊は単なる国史に止まらず、威厳ある天皇支配の理論的正統性を主唱し、国体を構想する原典を意味した。
政治家としても叡慮を斟酌して、神の末裔である天子の期待に応える聡明さを不比等は兼備していた。
比肩なきほどの権勢を持てば、つい驕慢な態度をとりがちであるが、彼の卓抜さは常に臣下として天皇に寄り添う藤原一門を築き上げる努力を惜しまなかった。
天皇家の永続性が担保された一因は、不比等が考案した両家の密接で暗黙裡の関係といえる。
これまで天皇(大王)家を支えてきた有力氏族(物部、蘇我、大伴、紀、橘、和気、菅原、中臣等)による後見、補佐体制では、いつか天皇制度が瓦解する危険性に晒されるものと認識した。