それは二つの理由による。
一つは第32代崇峻天皇(~592)のように蘇我馬子に暗殺されたこともあり、有力者に天皇制が乗っ取られてしまう認識である。
二つ目は皇位が変わる度に天皇を支える公家の地位と繁栄が保証されなくなり、中臣一族もその限りでないと憂慮し、藤原氏存続の叡智を働かせたのである。
要するに、天皇家と藤原一族の永続的唯一無二の関係と繁栄を担保する仕組みの構築へと帰結し、後の摂関政治の礎を築いた。
天皇(大王)は創設以来、常に安泰であった訳ではない。天皇家も、支えてくれる勢力が嘗てのように血みどろの抗争と混乱を経て頻繁に変わるよりは、安定的に特定の一族と結託し、支援を受ける方が天皇制維持に有益と考えても不思議ではない。
漠然とした不安を払拭するために両家の利害が一致し、暗黙の合意に辿り着いたのである。
この頃、王権内で水魚の交わりの如く、親密で離れがたい関係を結び、永続的な国家像を描いていた一人の若き皇子と一人の臣下がいた。
両家が一体で不可分の関係にはまる歴史的事件が、先述の乙巳の変である。