【前回記事を読む】なぜ藤原氏だけが生き残ったのか? 不比等が描いた永続国家のかたちは、天皇家の血なまぐさい「歴史的汚点」から始まった
第1章 日本民族及び国家の成立
第2節 国家の成立
第2項 主役の構想
①藤原不比等
中臣氏は大和朝廷に代々神事・祭祀を司り、連(むらじ)、後に朝臣(あそみ)姓を名乗る有力者ではあったが、政治的影響力は限定的であった。
鎌足は政治的主導権を握った中大兄皇子の寵幸を得て、律令国家建設では実質的功績を残した。臨終に際しては大織冠内大臣に任ぜられ、藤原朝臣の姓を賜る栄誉にも浴した。
新姓を与えることは、天皇と臣下の身分を確定することであった。天智の権威を改めて証明し、授かることは臣下の功績が言質されたことで、政権を担当する身分の藤原一族は、名実共に国家権力の次席に格上げされた。
実に敏感な政治的機微を藤原氏は嗅ぎ取り、主家の甘心を得ていた。この辺の事情を隈無く知りうる人物は、天皇家側が天智、天武、持統、藤原家側が鎌足、不比等の5人と推測した。この5人が日本国家創造の原作者、脚本家、主演、監督と断定しても真実との誤差は小さい。
乙巳の変以降、日本は大化の改新として知られる天皇親政の独立律令国家へと発展していく。大化の改新は、中大兄と鎌足が構想した新国家建設に不可欠の画期的政策であったが、永年王家を支えた有力者の誅殺は天皇家には負の遺産となったことは確かである。
それは仏教に起因した。仏教の教えに十善十悪がある。十善とは10種の善行(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不貪欲、不瞋恚、不邪見)で、十悪はこれらと真逆の10種の悪行を指す。中国も日本も仏教の影響を受けて、十善の君(きみ)という考えがある。
人の上に立つ天子や天皇は、前世に十善を守った功徳によって生まれるとする意味である。神仏の加護によって授けられる徳を天子は身に付けねばならない必然性に連なる。
日本の氏姓制度に少し触れる。大和政権の支配体制の基盤である氏姓制度は不明なことが多く、時代により変化して複雑である。
天皇(大王)を支える豪族は氏という血縁集団を形成して、政治的地位や世襲的職業に応じて姓という尊称を併せ持ち、私有地や部民を所有していた。
奈良期までは朝廷に奉祀した貴族は、家系を他と区別する氏と社会的地位(臣、連、等)を姓により秩序づけられた。両方とも、天皇(宮廷)から賜り、世襲的に改められていた。
乙巳の変を因襲的氏姓制度の変革を狙ったという見方も出来る。大化の改新の諸施策が進むにつれ、氏姓制度は次第に崩壊する。
因みに、天武天皇が制定した八色(やくさ)の姓(かばね)では中臣氏が称した連(むらじ)は第7位となっている。