夜の街灯がぼんやりと道を照らし、吉田はコートの襟を立てながら家へと向かっていた。

足取りは落ち着かない。後ろを振り返る回数が、いつもより多かった。誰かが自分を呼んだような気がしたが、気にも留めず歩き続けた。冷たい風が頬を打ち、緊張が背中を這う。

銀行の催促、工場の行く末、そして……公園でのあの出来事。頭の中が渦を巻き、何一つまともに考えられない。家の前に立った瞬間、一度深く息を吸い込んだ。

(ここでは、いつもの自分でいなければならない)

ドアを開けると、温かな光と共に、妻の明るい声が迎えた。

「おかえりなさい」

「ただいま。寒いな……」

努めて平静を装い、ぎこちなく笑う。吉田の沈んだ表情に気づいたのか、妻は柔らかく微笑んだ。

「工場のこと、いろいろあるのはわかってる。でも、きっとうまくいくわ」

励ましの言葉が心に沁みる。だが、それに応えられる自信がない。ただ曖昧に頷き、コートを脱ぐ。すると、玄関のほうから元気な声が響いた。

「お父さん、帰ってたんだ!」

娘が仕事から戻ってきたらしい。

「おぉ……」

「ねえ聞いて、自動車免許取れたよ!」

はしゃぐ娘。普段なら目を細めて喜ぶはずだが、今はどうしても上の空だった。

「試験に行ってたのか? そうか、そりゃ、よかったな……」

口ではそう言いながらも、視線は宙をさまよい、頭の中はまともに娘の話を処理していなかった。娘は不思議そうに吉田を見つめたが、特に気にせず続ける。

「古いけど、赤い軽ワゴンを知り合いからもらえるから、今度ドライブ付き合ってね!」

「ねぇ聞いてる?」

「あ、あぁ……」

その時だった。遠くから、パトカーのサイレンが鳴り響いた。

ウウウウウ――

救急車の音も重なるように鳴っている。吉田の鼓動が一気に跳ね上がった。血の気が引き、背筋に冷たいものが走る。まさか……。不安が一気に現実味を帯びる。妻と娘は「何かあったのかな?」と外を気にしていたが、吉田は違った。呼吸が浅くなり、手のひらがじっとり汗ばむ。耳の奥で自分の鼓動だけが大きく響いていた。

ニュースに俺が出たら妻と娘は……このまま平静を保つ自信がない。

「ちょっと約束があって、お客さんと飲みに行ってくる」

そう言った時、妻は少し心配そうな表情を見せたが、頷くだけで何も言わなかった。