「カルテをつくらにゃいかんき。おまんの名前もまだ聞いちょらんし」
「……葛岡哲也と言います」
「やっぱり親戚だ。どこの葛岡よ」
「……記憶が、どうもはっきりしないのです」哲也がそう言うと老医師は表情を曇らせた。
「まあ慌てることはない。何かの拍子に一時的に記憶をなくすことはあるきね。よほどのことがあったがやろう。どうせ親戚筋やろうし、遠慮せずにゆっくりしたらええわ。部屋はいくつも空いちゅうき、好きに使うたらえい」
そう言って老医師は立ち上がって、黒く大きい鞄に聴診器やら薬箱やらを詰めている。
「すまんが、陽子さん。後を頼めるかな。ちょくっと往診に行ってくるき。夕方までには戻ってくるきね」
哲也を十畳ほどの客間に敷かれた布団に寝かすと、老医師は往診に出かけていった。この部屋も見たことがあるような気がした。
しかし葛岡医院は後を継いだ父の手で、哲也の幼少期に二階建ての診療所に建て替えられたので、母の記憶と同じく、哲也には旧葛岡医院の記憶はない。
それなのに、少し暗い感じのするこの日本間には、何か悲しいような懐かしいような思いを呼び起こされる気がした。
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