【前回記事を読む】橋で男が倒れているのが見つかった…しかし「あそこは昨日まで水嵩が増して沈んじょった」。何故そんな所に男はいたのか?
第一幕 邂逅
一九五八年七月
しばらくすると、陽子が冷たい麦茶を運んできた。写真で見る母よりもっと若々しく、愛くるしいと感じた。
この明るく健康そうな人が癌に侵される。見つかったときにはステージⅣの進行膵臓癌になって命を落とす。
哲也より年下であるせいか、母というより妹のような感じがする。
陽子のほうも最初から哲也を警戒している感じがまったくない。
「大事に至らなくて良かったわ。でも本当に智志さんによく似ている。もっと垢抜けているかしらねえ。髭をつけたら同じ顔になっちゃうかしら」
そう言っておかしそうに笑う。
「記憶がはっきりしないので困りました。申し訳ないが新聞を見せていただけないでしょうか?」
陽子が持ってきてくれた新聞の日付は、昭和三十三年七月二十二日となっていた。
間違いなく、昔の高知に移動してきたようだった。
哲也の知るところでは、この翌月に陽子と智志は結婚する。二年後に陽子は哲也の母となる。そして、そのすぐ後に膵臓癌で死亡する。
「親父、いや、智志さんは、どちらに?」
「今は東大病院で内科の医師をしています。すごく優秀なんですよ。私も智志さんもこの村の出身なんです。来月結婚して、私、この田舎から脱出できるの。東京の文京区というところに新居を構えます。といっても小さな借家なんですけど……」
そう言って笑う陽子には、何の屈託もない。幸せに満ち溢れて、きらきらと輝いているように見える。
(そうだった。そして、祖父が亡くなり、父は東京大学病院での研究・教育・臨床をすべて捨て高知県に帰り葛岡医院を継ぐ。まもなく俺が生まれ、母が亡くなり、俺はここで父に育てられた)
「どうしたの? 難しい顔しちゃって。具合が悪いんですか?」
陽子の言葉に哲也は我に返った。
「いや、どうしたらよいか何もかもわからなくなってしまって」
「何もしなくていいのよ。病人なんだから。心配事は身体が良くなってからよ。よくって」
陽子は念を押すようにじっと哲也を見つめた。
(母が俺を心配している)
本当に心配しているという気持ちが不思議とはっきり感じられた。初めてなのに、懐かしいような嬉しいような、不思議な感覚だった。
涙がこぼれそうになったが、何とか堪え「うん」と頷いた。
何だか子供に戻ったような感じがして、哲也は再び眠りに落ちた。