【前回記事を読む】医師になって父親の後を継ごうともせずに、製薬会社で研究開発。帰省する資格はないと思っていたが、父親は…

第一幕 邂逅

一九九四年三月

盆暮れ正月、昼夜を問わず黙々と診療、往診している智志。彼は故郷の高知県の郡部ではすこぶる評判の良い医者である。

村の人々は智志のことを「いごっそう先生」と呼んだ。

「いごっそう」とは高知県の男性の気質を表す言葉で、「津軽じょっぱり」「肥後もっこす」と並び日本三大頑固の一つに数えられている。

弱い者に優しく、行動は大胆不敵で豪快、信念を貫くためには、自分より強く権力を持つ者とも戦う反骨精神を持った者という意味である。

智志は医師としての勘が鋭いのか、薬害とか医療ミスとはまったく無縁で、淡々と町医者を続けている。

早くから予防医学や漢方医学の必要性を説き、実践し、村の平均寿命を延ばした名医とも評価されているようだ。

一方、医者の息子というだけで哲也のことを特別扱いする人間の存在や、医師優遇税制で楽をしているとかの陰口は、幼少の哲也の心に少なからぬ傷を残した。

そんな環境から逃げるように、哲也は東京の私立大学の薬学部に入学した。

極めて優秀な学業成績を残してきた哲也が、医学部を受験しないと言ったとき、さすがに智志は少し寂しそうだったが、とりたててこうしたほうが良いとは言わなかった。後を継いでほしいとも言わなかった。

「そういう役立ち方もあるだろうなあ」

製薬会社に就職して医薬品の研究開発がしたいと哲也が言ったときも、そう言ってすんなりと認めてくれた。

母を知らずに育ち、自分に似て、どちらかというと対人関係に疎い哲也には、研究畑のほうが向いていると思ったのかもしれない。

母親を早くに亡くした一人息子には、とにかく好きなことをさせてやりたいという親心だったのかもしれない。