左上腕に妙な圧迫感を覚えて意識が戻った。血圧計の灰色のカフが巻きつけられている。

診療室のベッドに寝かされ、血圧を測定されているようだった。哲也の視界に老医師の顔が入ってくる。

「起きちょったかい。これ何本に見えるろうか?」

白衣姿の初老の医師が、横たわっている哲也の目の前に人差し指を立てて見せ、聞き覚えのある高知弁で問いかけてきた。

「これが何本に見えるろうか?」

医師はじっと哲也の表情を見つめ、もう一度繰り返した。

「一本です」

「うん。外傷もないようやし、血圧も落ち着いておる。こたござんせん……と」

こたござんせんとは、問題となるようなことはございません、という意味の高知弁であり、哲也の父の口癖でもあった。

子供の頃から父が笑顔で患者に言っていた懐かしい言葉だった。

「ありがとうございます」

横たわったままあたりを見回す。日本家屋の中に造られた診察室だった。

黒縁の眼鏡を人差し指で何度も押し上げながら、カルテを書いている老医師の机は木製の年代物だし、その上にある電話も最近見かけぬ黒のダイヤル式だ。

診察室の端のほうには生薬をストックする大きな百味箪笥(ひゃくみだんす)、その横には生薬を磨り潰す薬研(やげん)まで置いてある。

 

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