『智志』は聞き覚えのある名前だった。
「そう思ったでしょう、お父様」
そう言って入り口の所からさきほどの女性が顔を覗かせた。
「車でこっちに来る途中、倒れているおまんを見つけて陽子さんが運んでくれたがじゃ。わしの倅の婚約者ながやき」
『陽子』も聞き覚えのある名前だった。
(いったい何が起こっているのだ。この人たちは何者なのか)と哲也は思った。
「ありがとうございます」
そう言って、ベッドを降りて立ち上がると、側にある窓から外の景色を眺めることができた。
「あっ」
哲也は思わず声が出た。
舗装こそされていないが、前を走る一本道は県道だ。遠くに見えるあの蒼い川は仁淀川。このレイアウト、外の景色はまごうかたなき故郷、地元の景色だった。
『葛岡医院』と書かれた木製の古びた看板も見える。
医院の正面には二台の車が停められている。いずれも戦後まもなくの古い車体だった。
(葛岡医院? 何てこった。俺の家じゃないか。ってことは、この人は俺の生まれる前に亡くなった祖父、時次郎さん? ああ、そしてこの女性は俺が生まれてすぐに亡くなった母、陽子? いったい何がどうなっているんだ? 場所どころか時間まで移動したのか?)
胃袋が縮みあがるような緊張感が襲ってくる。気がつくと哲也は全身がぶるぶると小刻みに震えている。写真でしか見たことのない母親と祖父に、こうして対面している状況の不思議さ。恐怖感と幸福感が同時に存在しているような、体験したことのない感覚に哲也は支配されていた。
老医師は哲也の動きや顔色を見て少し安心した様子で椅子に腰かけ、万年筆を動かしている。