【前回の記事を読む】幼児が真冬の真っ暗な便所に一晩中閉じ込められる…『カラマーゾフの兄弟』に見られる児童虐待の実例
第二章 様々な解釈
レフ・シェストフ
ここで注目すべきことは、『地下室の手記』の主人公から、ラスコーリニコフ、そしてイワン・カラマーゾフへと脈々と受け継がれる苦悩のうちにシェストフが読みとっているものである。
「いかなる調和も、いかなる思想も、いかなる愛や赦しも、要するに、古代から現代に至るまで賢人たちが考えついたもののうち、個々の人間の運命の無意味さや愚しさを弁明出来るものは何一つとしてない」。
つまり「いかなる高邁(こうまい)な理想も高遠な思想も、個々の人間の有限な生を救うことができない」という感覚こそが、ラスコーリニコフの「絶望的な孤独感」の正体である、とシェストフは指摘しているのだ。
しかし、この「恐怖」は、シェストフによってドストエフスキー自身の文学的苦悩の核心に据えられることにより、抽象化され、『罪と罰』の具体的なプロットから引き離されてしまう。
そのため、シェストフは、この「恐怖」と老婆の殺害との間の因果関係は問題にせず、「なぜ、ラスコーリニコフは、老婆の殺害の直後に、突如として、そのような地獄に突き落とされることになったのか」という問いには答えていない。