江川卓

江川卓は、優れた評論作品である『謎とき『罪と罰』』において、

ラスコーリニコフが「いっさいの人間といっさいのものから、自分の存在を鋏で切り離しでもしたように」感じた場面、

すなわち前述のネワ川上の橋の場面を、「「人類との断絶」という抽象的な理念が、これ以上望めぬほど鮮烈にイメージ化されている場面」であるとし、

彼が突きつけられたこの「直接的な感触」こそが、

「ラスコーリニコフにとっての「罰」の実体であったと考えてよいだろう」と述べている。

作者はこの感触を、前述のように「これまでの生涯でラスコーリニコフが体験した感覚のうちでも、もっとも苦しい感覚」と表現している。

江川は、ここで用いられているロシア語の「苦しい」(мучительный(ムチーチェリヌイ))という形容詞の語源である「苦悩」(мука(ムーカ))という名詞が、通常の「苦痛、苦しみ」の意味のほかに「地獄での責苦を思わせる特殊な語義を持っていた」ことに着目する。

そこから、ラスコーリニコフの苦悩は、地獄の苦悩、すなわち「「死によってのみ」体験可能な「感触」」、「つまりは神による「罰」の最高形態と考えればよい」と結論づける。

さらに、これを、『カラマーゾフの兄弟』に登場する高僧ゾシマ長老が臨終前の法話で自ら語った「地獄」観、すなわち「地獄とは、もはや愛することができないという苦悩である」という見解と結びつけ、「実は、この地獄観、苦痛観が、ラスコーリニコフの「感触」の根源に置かれていたものなのである」と断言する。

江川は、次のように述べる。