彼は自分からソーニャに告白するように、「自分自身を殺した」、「ひと思いに自分をパシリとやった」のだった。となれば、現在の彼はすでに死んでいることになり、当然、愛の不能者ということになる。
それでいながら、「愛」への渇望がいまだに彼の身内から消えていないとしたら、これは不能者の愛にならざるをえない。
むろん、チャタレイ男爵など連想する必要はさらさらあるまいが、これがこの世の地獄でなくて何であろう。(1)
江川特有の極めて緻密な分析と深い洞察であり、ドストエフスキーの世界観に迫る解釈であると言えるかもしれない。
確かに、江川が引用したように、ドストエフスキーはラスコーリニコフに「自分自身を殺した」と言わしめている。
しかし、ラスコーリニコフが「自分自身を殺した」のだとすれば、ここにおいても、なぜ「老婆の殺害」が「自己の死」に転化したのかという新たな問題に帰結してしまう。
第三章 仮説
老婆の殺害の直後から「無限の孤独と疎外の感覚」に苦しめられるラスコーリニコフ。この「感覚」の正体は何か、それが本書の重要な問題提起であった。
小林秀雄は、その感覚の正体を明言することを慎重に避けた。
ベルジャーエフは、「内在的な神的原理」が主人公の良心を打ったものと解釈した。
しかし、作者が強調するように、ラスコーリニコフは自首に至るまで良心の呵責と無縁であった。
シェストフは、ラスコーリニコフの絶望的な孤独感を『地下室の手記』以来の作家自身の苦悩と同一視するが、この感覚と老婆の殺害との因果関係については何も説明しない。
江川卓は、ラスコーリニコフが自分自身を殺したことによって「愛の不能」という「地獄」におちいったものであると解釈した。
そうだとすれば「なぜ老婆の殺害が自己の死に転化したのか」という新たな疑問が生じてくる。
ドストエフスキーは、処女作『貧しき人々』を二十三歳で書き、当時の著名な批評家であったヴィッサリオン・ベリンスキーに絶賛され、鮮烈な文壇デビューを果たした。
(1)江川卓『謎とき『罪と罰』』新潮選書 一九八六