【前回記事を読む】東京に雪が降った日、認知症の母と厚着をして外へ出た…雪は思ったより積もっていて、足首まで埋まり…

第七章   春の訪れ

冬が終わり、春が来た。

庭の梅の木が、淡いピンク色の花を咲かせた。母が毎年楽しみにしている光景だ。

「今年も咲いたわね」

母は庭に出て、梅の花を見上げた。

「きれいだね」

「この木はね、恵美が生まれた年に植えたのよ」

「えっ、そうなの?」

「お父さんがね、『恵美の成長を見届ける木を植えよう』 って言って。二人で園芸店に行って、この梅の苗木を買ったの」

私は梅の木を見上げた。30年以上の歳月を経て、立派な木に成長していた。

「知らなかった」

「毎年、この花が咲くたびに、恵美の成長を実感したわ。小学校に入った年、中学校に入った年、高校に入った年。この木と一緒に、恵美も大きくなっていったのよ」

母の目には、懐かしさが浮かんでいた。

「お父さん、今頃この花を見て喜んでるかしら」

「きっと喜んでるよ。お母さんと一緒に見てるかもね」

「そうだといいわね」

母は微笑んで、梅の花に手を伸ばした。

春になると、母の調子も少し良くなったように感じられた。

暖かくなって、外出する機会が増えたからかもしれない。散歩の距離も伸びたし、表情も明るくなった。

「今日は天気がいいから、少し遠くまで歩きましょう」

母が言った。私たちは近所の公園ではなく、少し離れた川沿いの遊歩道を歩くことにした。

川沿いには桜の木が植えられていて、ちょうど満開の時期だった。ピンク色の花が、青空に映えて美しかった。

「お花見日和ね」

母は嬉しそうに桜を見上げた。

「お弁当持ってくればよかったね」

「そうね。でも、こうして歩きながら見るのも悪くないわ」

私たちはゆっくりと遊歩道を歩いた。桜の花びらが、風に舞って散っていた。まるで雪のように。

「恵美」

「なに?」

「来年も、一緒にお花見できるかしら」

母の声は、少し不安げだった。

「できるよ。絶対」

「私、来年まで覚えていられるかしら。桜のこと、今日のこと」

私は立ち止まって、母を見た。

「忘れても大丈夫だよ」

「えっ?」

「お母さんが忘れても、私が覚えてるから。来年また桜を見たとき、私が教えてあげる。『去年も一緒に見たんだよ』 って」

母は黙っていた。

「それに、忘れちゃっても、また新鮮な気持ちで楽しめるってことでしょ。毎年、初めて見るみたいに感動できるんだよ。それって、ある意味すごいことじゃない?」

私は母の手を取った。

「だから、心配しないで。来年も、再来年も、ずっと一緒にお花見しよう」

母の目に涙が浮かんだ。でも、その涙は悲しみではなく、感謝の涙のように見えた。

「ありがとう、恵美」

「お母さんこそ、ありがとう。一緒にいてくれて」

私たちは手を繋いで、桜並木の下を歩いた。風が吹いて、桜の花びらが舞い散った。その光景は、まるで夢の中にいるようだった。

その夜、私は日記を書いた。

日記をつけ始めたのは、母が認知症と診断されてからのことだった。母との日々を、記録しておきたいと思ったのだ。

今日、母と桜を見に行った。満開の桜が本当にきれいだった。母が「来年も見られるかしら」と不安そうに言ったので、「忘れても私が覚えてる」と答えた。母は泣いていた。でも、嬉しそうだった。

私も嬉しかった。母と一緒に桜を見られて。こうして手を繋いで歩けて。

来年も、再来年も、ずっと一緒に桜を見たい。できる限り長く、母のそばにいたい。

日記を書きながら、私は涙がこぼれた。