【前回記事を読む】脳の断面図を前に“ある病”を診断された母…「来年も紅葉、見られるかしら」という言葉に、私はドキッとした。
第六章 季節の移ろい
母の症状は、少しずつ進行しているように感じられた。
同じ質問を繰り返す頻度が増えた。
「今日は何曜日?」
「恵美は仕事?」
「夕飯は何にする?」
同じ質問を、一日に何度も聞くことがあった。
私は毎回、同じように答えた。
「今日は水曜日だよ」
「今日は仕事休みだよ」
「夕飯は魚にしようか」
何度聞かれても、同じトーンで、同じように。
最初の頃は、正直なところ、うんざりすることもあった。「さっきも言ったでしょ」と言いたくなることもあった。でも、母を傷つけた朝の出来事を思い出すと、その言葉は飲み込むことができた。
カウンセラーから教わったテクニックも役に立った。
「同じ質問をされたら、毎回新鮮に答えてください。お母様にとっては、毎回が最初の質問なのですから」
その言葉を胸に、私は毎回、初めて聞かれたかのように答えるようにした。
東京にも雪が降った。珍しいことだった。朝起きると、窓の外は一面の銀世界になっていた。
「お母さん、雪だよ!」
私は母の部屋に飛び込んだ。母は布団の中で目を丸くしていた。
「雪? 本当?」
「本当。見てみて」
私はカーテンを開けた。白い雪が、庭を、街を、すべてを覆っていた。母は布団から出て、窓際に立った。
「まあ……きれいね……」
母は息を呑むとそう言った。
「子供の頃を思い出すわ。雪が降ると、嬉しくて外に飛び出したものよ」
「今でも飛び出す?」
「まさか。この年で転んだら大変よ」
母は笑った。私も笑った。
「でも、庭に出るくらいならいいでしょ。少しだけ」
「えっ、本当?」
母の目が輝いた。まるで子供のようだった。
私たちは厚着をして、庭に出た。雪は思ったより積もっていて、足首まで埋まった。
「冷たい!」
母が歓声を上げた。私は雪を手ですくって、小さな雪玉を作った。
「お母さん、雪合戦しよう」
「えっ、やめてよ」
「いくよー」
私は軽く雪玉を投げた。母の肩に当たって、ぱらぱらと崩れた。
「もう! 恵美ったら!」
母も雪を丸めて、投げ返してきた。私の背中に命中した。
「やったわね!」
二人で雪合戦をした。といっても、ほとんどふざけ合っているだけだったが。息が切れるまで笑い転げた。
「疲れた……」
「私も……」
二人で雪の上に座り込んだ。冷たい雪が、お尻を通して伝わってきた。でも、不思議と心は温かかった。