「こんなこと、何年ぶりかしら」

母が白い息を吐きながら言った。

「子供の頃以来じゃない?」

「そうかもね。お父さんが生きてた頃も、雪合戦なんてしなかったわ」

「お父さん、そういうの照れくさがりそうだもんね」

「そうそう。『いい年した大人が何やってんだ』って言いそう」

母は笑った。その笑顔は、雪よりも眩しかった。

「でもね、恵美」

「なに?」

「こうやって一緒に遊んでくれて、嬉しいわ。私、最近ね、自分がだんだん子供に戻っていくような気がするの」

母の声は、少し寂しげだった。

「記憶がなくなっていくっていうのは、そういうことなのかもしれない。大人として積み重ねてきたものが、少しずつ崩れていって、子供の頃の自分に戻っていく」

「お母さん……」

「でもね、子供に戻るのも悪くないかもって、今日思ったの。子供の頃って、純粋に楽しいことを楽しめたでしょう。雪が降っただけで嬉しくなって、雪合戦ができただけで幸せになれた」

母は空を見上げた。灰色の空から、まだちらちらと雪が舞い落ちていた。

「大人になると、いろんなことを考えすぎて、純粋に楽しめなくなる。でも、記憶がなくなって、いろんなことを忘れていくと、また子供みたいに純粋になれるのかもしれない」

私は黙って母の話を聞いていた。

「だから、恵美。私が子供みたいになっても、一緒に遊んでね」

「うん。約束するよ」

私は母の冷たい手を握った。

「何度でも雪合戦しよう。何度でも一緒に笑おう」

母は微笑んで、私の手を握り返した。

その夜、私たちは熱いお風呂に入って体を温めた。そして、こたつに入ってみかんを食べながら、テレビを見た。

「今日は楽しかったわ」

母がみかんの皮をむきながら言った。

「うん。私も楽しかった」

「また雪降るといいわね」

「東京はあんまり降らないからなあ。でも、降ったらまた遊ぼうね」

「約束よ」

母は嬉しそうに笑った。

こたつの中は温かく、みかんは甘かった。テレビからは、お笑い番組の笑い声が聞こえていた。何でもない、ありふれた冬の夜。でも、私にとっては、かけがえのない時間だった。

「お母さん」

「なに?」

「大好きだよ」

唐突に言った私の言葉に、母は一瞬きょとんとした。そして、照れくさそうに笑った。

「急にどうしたの」

「別に。ただ言いたくなっただけ」

「変な子ね」

母はそう言いながらも、嬉しそうだった。

「私もよ、恵美。大好き」

その言葉を聞いて、私は幸せな気持ちになった。

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ある日仕事から帰ると、母がキッチンで立ち尽くしていた…母は困惑した顔で、冷蔵庫を見つめ、「冷蔵庫を開けて…」

 

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