2、毎年遺影を撮る老人

「それじゃ、行ってくるぞ」

老人は、帽子をかぶると、玄関の引き戸を開けた。玄関に続く廊下の奥から小走りにやってくる足音が聞こえる。

「お父さん、待って。はい、ハンカチ。お財布は持った?」

「ああ」

「本当に車で送っていかなくていいの?」

娘の奈津美が心配そうに老人を覗き込んだ。老人はツイードのスーツを着込み、その上から茶のコートを羽織っている。一番の余所(よそ)行きである。

斎藤孝蔵、79歳。引き締まった表情をしていて、どこか気品を感じさせる。

10年前までは中堅の商社に勤め、取締役まで上り詰めた。勇退してからも会社のイベントには顔を出していたが、いつの頃からか世代も変わり、会社から声がかからなくなっていた。

それでも孝蔵は毎朝必ず新聞を三紙チェックし、会社に関連する記事があれば切り抜きをしていた。

奈津美は孝蔵の次女で結婚して家を出たが、40を過ぎて離婚し、今は実家に戻って両親の世話をしている。子供はいない。

「お母さん。お父さん、写真を撮りに行ったよ。毎年ご苦労さまね」

母の絹代は2年前に脳卒中を起こし左半身不随となった。その後少し足腰が弱り、今では外出には車いすが欠かせない。

「お父さんはね、自分が死んだときのために納得のいく遺影を撮りたいんだよ」

絹代は椅子から立ち上がろうと、背もたれに手を掛けた。

奈津美は母の背後に回り、そっと腰に手を添える。

「やーね、まったく。それにしても毎年撮らなくてもいいと思うんだけど。子供じゃないんだし、1年や2年前の写真でも大して変わりはしないのにね」

絹代は自分の湯呑を流しに置くと、縁側のほうにゆっくり歩いていった。縁側は日が当たって暖かそうだ。

「お父さんはお父さんで考えがあるんだろうよ」

奈津美はひざ掛けをそっと母に掛けた。

「お父さんも頑固だからね。ま、しょうがないか」

孝蔵はバスに乗ると、車内の中ほどのシートに座った。正面には出入り口の扉があり、大きな窓から外の景色を見ることができる。

今日は天気も良く、窓には昼下がりののんびりとした街の風景が広がる。そろそろ田浦梅林の梅が咲く頃だろうかと孝蔵は考えていた。

この年になっても春の訪れには胸が躍るようだ。バスは坂道を下り、旭町の通りに入った。

土曜日ということもあって、商店街は買い物客で賑わっている。

「次は旭町です」

音声ガイドがそう告げると、孝蔵はブザーを押した。

 

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毎年“自分の遺影”を更新し続ける老人…10年も続ける理由を聞いた瞬間、彼の表情が一変し……

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