【前回の記事を読む】「近づくと逃げるんだもの」彼の上目遣いの表情が悲しげで、罪悪感が込み上げた。悪気がないことを伝えると彼は…

壺を抱いたネコニャ

ある日、いつものようにピアノの下に潜って本を読んでいたトーヤが、ぽつりとつぶやいた。

「こんな暗くてじめじめしたところじゃなくてさ、太陽が当たる明るい部屋の絨毯の上に寝ころんで、ピアノを聴きながら本を読んだり昼寝ができたら最高だな」

腹這いになり頬杖をついた彼は、文庫本のページをめくった。

確かに、硬くて冷たいフロアーに寝ころんで聴くよりも、ぽかぽか陽気の明るい部屋の中で、おもちゃ箱をひっくり返したようなモーツァルトの曲を聴いたら、きっと楽しいだろう。

「昼間私の家に来ればできるわよ。グランドピアノは日当たりのいい部屋にあるもの」

私はピアノを弾きながら何気なく言ったのだが、自分が放った言葉に一瞬思考が止まってしまった。しかし、そんな私の様子など気にも留めず、トーヤは飛び起きて私を見上げた。

「いいの? 行っても」

少年の無邪気な眼差しが、私の胸を高鳴らせた。ついでに汗もたっぷりと全身に吹き出ていた。

「ええ。いいわよ」

年甲斐もなく彼の視線にうろたえている自分を抑えつけたら、声が一オクターブ高くなった。もっともトーヤは、地図を書くための紙と鉛筆を取りにすでに走りだしていて、そんなことには気がつかなかったようだが。

家までの地図を渡すと、彼は子どものような笑顔で喜び、もし明朝晴れていたら絶対に行くと言った。

私は地図に目を落としているトーヤの横顔を見つめた。髪が顔の上半分を覆い隠し、すっきりと筋が通った鼻と、薄めの唇、線の細い顎しか見えなかったが、目はきっと輝いているだろうと思った。髪を搔き上げてみたい衝動を抑えながらその眼差しを想像し、私は明日晴れることを念じていた。

「女の一念岩をも通す」というが、彼の一念も入っていたのだろう。翌日は抜けるような秋空だった。

インターホンから聞こえるトーヤの声に、私は玄関を飛び出した。

今日は精神安定剤を飲んで、彼が何か言っても汗をかいたりしないように準備しておいたから、私の気分は上々だった。それに、汗をかいてもすぐに蒸発してしまいそうなほど涼しい風が吹き、湿度も低かった。