「『バイバイ』と言ったわ」

「そのままいなくなったのね?」

「ええ。小さな声でね、そう言ったの。たぶん」

「たぶん?」

「他の音の方がよく聞こえたの。私にはそっちの音の方が拾いやすいから」

「何の音が聞こえたの?」

「ドアの閉まる音。ロック部分の金属が出した硬い音と、木と木が当たる丸みを帯びた音の両方が、まず文字になって見えたから、それを読んでしまったわ。続いてテレビから四時の時報が文字になって頭の中を流れて、家の柱時計の音がかぶさるように六音、文字になったわ。

耳から入ったら、読まずにいられないの。何よりも優先されてしまう世界なの。頭の中に文字の帯が流れていくのよ。それはとても鮮明な映像だから、読みたくなくても読んでしまう」

「よく、解らないわ。どんな文字が読めたのかしら?」

「かちゃっは『レミッ』。ばたんが『ラドミ』の和音。時報は『ラ』。時計は『ラ・ド・ファ・ソ♯・一オクターブ上のド・ファ』の和音」

「それは、読むものではなくて、聞こえるものでしょう?」

「そうね。正確にはそう言うのかも知れない。でも、どうやっても『ド・レ・ミ・ファ』っていうカタカナが頭の中で文字になるの。シャープ系のたった十二文字に置き換えているから、私の場合、聞こえるというよりは、やはり読めると言ったほうが近いわ」

「もしかして、絶対音感というもの?」

「そう。音の世界は十二文字しかないの。喋る言葉までは文字として読めないけれど、それ以外の音は十二文字のどれかに置き換えることができるわ。だからネコニャの声は『バイバイ』と聞き取れた。でも他の音がたくさん鳴っていたから、それらを読まずにはいられなかったの」