笹川と向かい合うと、その真剣な眼差しに射抜かれる。
「他の人達の動きを見ましたか?」
「はい。みんな誤報だって……」
「あれを、『正常性バイアス』というんです」
「正常性バイアス……?」
「はい。どうせ誤報だろう、自分は大丈夫だろう、と思い込んでしまう人間の特性のことを言います。ああいう火災警報が鳴った場合、あの場にいた人の殆どは動きませんでしたよね。彼らはあれが誤報だったか、それとも本当に火災が起きていたのかを知らないはずなのにです」
「……確かに……」
「正常性バイアスというのは、よく建築分野で防災について論じる時に言われることなのです。地震や津波、火災、なんでもそうですが警報があっても避難しない人のほうが多い。なんとなく、わかるのではないでしょうか。
オフィスで地震警報が鳴っても、みんな逃げたりしないのではないですか? たとえ避難訓練がされていたとしても、実際にそれを防ぐのは人間の意識なのです」
(私にも、その正常性バイアスがかかっていたってことだ……)
それを認識すると、笹川がどうしてすぐに行動したのかがわかる。人間、自分にそういう特性があることを知った上で、それに惑わされないよう行動したのだ。
「火災でも半数近くが逃げ遅れて亡くなっていますし、とにかく自分たちは被害想定を過小評価してしまう特徴があるのだということを、頭に入れておいてください。店から逃げるときは恥ずかしかったかも知れませんが、こちらを見ていた人たちは二度と会うか会わないかという相手です。
自分の命を捨てるよりは、その恥ずかしさを感じながらも逃げた方がいいとは思うのです。だから、くるみさん。どうか、1人でいるときも、そう心がけると約束してくれませんか?」
「はい、必ずそうします」
笹川の言葉に、くるみを大切に思う気持ちが込められているのがわかる。だからくるみも、素直にうなずいた。
「とはいえ、食材が買えなかったので……少し歩きますが、別のスーパーに行ってもいいですか?」
「はい、もちろんです」
それから少し歩いたところにあるスーパーへ行き、食材を買って笹川の家へと向かった。
次回更新は4月23日(木)、11時の予定です。
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