【前回の記事を読む】真夜中の散歩から帰った俺を迎えに来た妻――俺ですら長らく忘れていた名前を、彼女は口にした
あの世で、君と結ばれる
妻に、何故M子の名前が出てきたのか、問いただそうかと思ったが、やめた。認知症の空白のせいで、妻は俺より多くのことを知っているかもしれない。俺の知らないことが出てきて、ショックを受けそうな気がする。彼女に逆襲され、ぎゃふんと言わされるかもしれない。
しばらく、無言のまま、歩いた。妻も、おとなしく少し後ろを付いてくる。
歩道の横の民家の生垣から、一輪の青い花が顔を出していた。
「おはようございます」
郵便局の近くで、小型の犬を引っ張った禿げ頭のおじいさんとすれ違った。
俺の心の中で、M子と交わったこと、そしてその結果として身籠った子のことを、妻に隠していてはいけないとの考えが浮かびつつあった。全部ではないにしても、妻に知られているのではないか。こちらから進んで、白状すべきではないか。その考えを何度も反芻し、家へ帰ったら、そうすることにした。いくら人通りが少ないとはいえ、外で話すべき問題ではない。
家へ戻った。長い旅から帰ってきたかのように、ほっとした気分になった。でも、これから重要な告白をしなければならないと思うと、ほっとしてはいられない。
我が家は、長女が県外へ嫁に行き、長男は近くに別居している。今は、妻と二人だけの静かな生活だ。
オレンジとシリアルに豆乳をかけた朝食を終え、コーヒーを飲みながら、
「話があるのだけれど……」
と切り出した。
「何?」
怪訝な顔つきではなかった。
「すまん。許してくれ」
俺は、椅子から下りて、硬い床に土下座した。大げさかとも思ったが、そのくらいはしなければならないと思った。
「何を許せばいいの」