赤塚古墳や石塚山古墳のような前方後円墳はいきなり登場したのではない。田川郡香春町に宮原古墳(二世紀頃)が存在する。これが前方後円墳のモデルとなった。
後程詳しく書くが、この地には邪馬壹国北部をまとめる伊都国が存在していた。こう書くと伊都国は糸島だろうと思う人もいるかもしれない。しかし本来の伊都国は、こちら田川郡香春町にあった。邪馬壹国の後、物部氏の台頭とともに、この前方後円墳という古墳形態が各地の王族の間で出現した。
このことは秦氏が本格的に渡来してくる西暦400年代より二百年も前に始まった。物部氏が台頭する直前、帯方郡に勢力を張っていた公孫氏が滅ぼされている。
世界的な気候変動で全地球が寒冷化しており、中国全土の死者も当時の人口の九割とも予測されている。そのようななかで、日本列島は黒潮の影響なのか中国大陸に比べれば変化が小さかったと推測される。ただそれでも甚大な被害が出たことは、日本書紀の崇神記に多くの者が疫病で死に絶えたという記述からも推察できる。
中国大陸からの避難民が、日本列島に疫病を持ち込んだことでパンデミックが引き起こされたのがこの状態に当てはまるだろう。特に大田田根子が大物主神を鎮める物語は、物部氏は疫病などを祓うシャーマンとして出現し、倭国の多くの王族から信任を得るに至ったことを如実に物語っているのではないだろうか。