【前回の記事を読む】日本書紀と三国史記の記述差から読み解く、継体天皇暗殺説と倭国・伽耶・新羅をめぐる6世紀東アジア政変の真相とは菟狭津彦にとって、御許山は禁足の聖地だった。元の名を馬城峯という。この禁足地には大宮司のみがその交代の折にのみ入ることが許され、三体の磐座に宿る神に就任を報告したという。物部氏の伝承では天活玉命の子、天三降命が天降ったとされており、宇佐八幡宮御託宣においては宗像三女神が…
[連載]菟狭津彦が見た倭国の歴史
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歴史・地理『菟狭津彦が見た倭国の歴史』【第5回】宇佐津彦 清智
前方後円墳と三角縁神獣鏡は物部王朝の象徴だった。福岡県苅田町の石塚山古墳から出土した鏡は、畿内を含む10ヶ所の…
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歴史・地理『菟狭津彦が見た倭国の歴史』【第4回】宇佐津彦 清智
日本書紀と三国史記の記述差から読み解く、継体天皇暗殺説と倭国・伽耶・新羅をめぐる6世紀東アジア政変の真相とは
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歴史・地理『菟狭津彦が見た倭国の歴史』【第3回】宇佐津彦 清智
地球寒冷化で文明崩壊寸前…9割死亡の中国大陸から逃れた人々が日本にもたらした“恐るべき病”とは
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歴史・地理『菟狭津彦が見た倭国の歴史』【第2回】宇佐津彦 清智
宇佐家は何度も滅亡の危機を免れてきた。1度目は筑紫磐井の乱、2度目は弓削道鏡の偽託宣事件、そして最大の危機は――
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歴史・地理『菟狭津彦が見た倭国の歴史』【新連載】宇佐津彦 清智
【日本古代史】九州の古代豪族の末裔が、自らのルーツと倭国の歴史をたどる――祖先の領有地、現在では東九州自動車道路に?