【前回の記事を読む】【日本古代史】九州の古代豪族の末裔が、自らのルーツと倭国の歴史をたどる――祖先の領有地、現在では東九州自動車道路に?

プロローグ

2 数々の滅亡の危機を超えて

 

宇佐家がいつから宇佐八幡宮の大宮司職を世襲するに至ったか等は、別の調査報告書に記載したいと思う。とにかく長い歴史であるので、それを短くまとめることは困難だった。だが、こうしてこの文章をわたしが書いているということは、宇佐家は幾たびもの滅亡の危機を免れて、現代に至ったということなのだ。

饒速日尊(にぎはやひのみこと)に随伴して天磐船で天降った天三降命の子から続く菟狭津彦という存在、それは何世代にも渡って続いてきたが、彼らの目を通しながら、この歴史調査を最後まで完成させたいと思っている。

大きな危機の最初は、筑紫磐井の乱の時代であろう。この件に関しては、歴史報告書01の赤塚古墳の章で述べたいと思う。単純な事件に隠された壮大な権力争いに巻き込まれた菟狭津彦は一時歴史の舞台から姿を消す。