【前回の記事を読む】宇佐家は何度も滅亡の危機を免れてきた。1度目は筑紫磐井の乱、2度目は弓削道鏡の偽託宣事件、そして最大の危機は――

歴史調査報告書01 宇佐風土記の丘にて想う

大分県宇佐市にある宇佐風土記の丘には、三世紀から六世紀にかけての古代菟狭津彦を埋葬した前方後円墳が六基ある。その始まりは赤塚古墳だった。その終わりは鶴見古墳であり、そこには継体・欽明王朝交代という衝撃のドラマの闇が隠されていた。

宇佐に赤塚古墳が誕生したのは、前方後円墳が各地に一斉に出現し始めた三世紀中期以降の時期に重なっている。

前方後円墳は、それまでの円墳などに比べれば技術的に複雑だ。九州豊国の地でこの古墳の築造が最初に始まった。その後この技術は、九州、岡山、京都、奈良等で同時期ではないが、共有が拡大していった。

今回は古代菟狭津彦と彼らを取り巻く環境について調査を行った。

 

調査のスタイルとしては、まず歴史文献から宇佐氏が残した足跡を探し出して、それを歴史報告書という大きな括りにまとめる。

次に関連するキーワードに対しての文献や考古学資料をまとめる。いろいろと推論を巡らせて、その推論に矛盾がないかを検査する。当然矛盾だらけなので、可能性が高い推論を再構築していく。

最後は現地に赴き、その推論が正しそうかを含めて見てまわる。大概は海が陸になったり、山がゴルフ場になったりしているが、とにかく感じるものをそこから持って帰るだけだ。

こんな感じで、これからの歴史報告書は作られていく。だから定説ではどうだとか、これまでの議論の積重ねがこうだとかは、ここには反映しないことにしている。反映したら、逆に矛盾を抱え込んでしまう可能性が高いのだ。そうやってまとめる歴史報告書に多くの方が驚くかもしれないが、わたしとしてはこちらの方が真実により近いと思っている。