【前回の記事を読む】東京からの帰省時にいつも途中下車して立ち寄った彼の三畳下宿

悔悟の涙

それまでの彼は、まだ彼自身のかかわる解放運動に比べれば、その政治的流れには消極的で、むしろ冷笑的とさえ言えるほどであった。しかし当時の世界的なベトナム反戦、そして国内における全共闘運動という潮流の中で、多くの若者たちがそれに影響を受け、その流れの中に飛び込んでいった訳だから、さすがに彼も、全く影響を受けぬ訳にはいかなかったのである。

そんな彼がより積極的に学生運動にかかわる様になった直接的で決定的なきっかけが、彼の身近な存在で、そして彼と全く同じ境遇で一緒に活動をしていた、一人の若い女性の自死にあった事は確かである。僕が初めて見た、その時の彼の憔悴しきった姿と落胆ぶりは、理由が全く分からぬほど、尋常では無かったのだから。

Nと彼女とは、互いに同じ様な境遇に生まれ育って、Nは尊敬と憧れにも似た、いや、それまでのNの口ぶりや様子からすれば、一方的であったとしても、間違いなく強い恋愛感情を抱いていたはずであった。その一人の年上の女性の死が大きなきっかけになった事は想像に難くない。

あまつさえ、それがほかの男性との恋愛に真剣に悩んでの、それも差別が絡んでのどうにもやるせない不条理な死だとしたら。彼の受けた衝撃と動揺は、どうしようもない嫉妬心も絡んで、もはや単なる失恋という心の痛手だけでは済まず、それが何倍にもふくらみ、救いようもないほどの大きな心の傷になって苦しんでいた事も間違いない。

単純な失恋と言うだけでは説明のつかない、自らの嫉妬心に苛まれ続けたであろう複雑な心境が、逆にばねになって、彼の政治的増幅行動になったのであろう。それだけでなく、彼のその後の行動や生き方全般に対して、彼が憧れた女性の自死が強く影響を及ぼした事は絶対に否定出来ない事実であった。

当初、経済的事情から、一旦は大阪に出て働いていたNではあったが、その様な事情から、一年後、彼は上京してある夜間大学に入学してきた。

僕らは、お互い東京での再会を喜び合いながら、それまで以上に、今思うと若者特有の思い込みも強かったけれど、それでも不都合で納得のいかぬ政治や社会の事、そして、お互い新たな女性問題も含めたさまざまな話題を肴に酒を飲み、夜を徹して語り合ったのであった。