中国で動乱がある度に、中国江南や朝鮮半島から日本列島目指して人々が逃げてきた。紀元七世紀頃までの日本列島は、その様にアジア世界の王族や貴種の亡命先、移民の入植地としての役割を担っていた。

七世紀後半に新羅の文武王が和国へ渡来したのを最後に、それ以降は和国でなく『日本国』という強い国が建国され、海上に強い国境線を引き日本列島はアジア世界の貴種や王族の亡命先としての、長い役割を終えた。

エジプト・ヨーロッパと接している西アジアは、東アジアとは比べものにならない程、定住が難しい争乱の地で、常に移民や難民、戦争捕虜など強国の犠牲になる人々が絶えない激戦地だった。

勝てなければ、奴隷民族として生きるか、西アジアから逃げるか滅亡しかない。選択肢がなく、世界の果てにあるという、遥か東の日イズル島へと救いを求めた人々も少なからずいた。

日本人にしてみれば、遠い西アジアから苦難の道を越えてくるなど信じがたい面もあるが、王族達はその血統を絶やさぬ様にいつか国を再建することを夢見て、世界の果てにあるという日イズル国へ、東海にある「日本列島」を目指して逃げた。

言ってみれば、古代アジア世界の失われた王族達の血統は、私達日本人が受け継いでいる。新しい文化や技術を携えてきた人々は職能集団として帰化することができ、先住者側も新たな大陸の知識や技術を渡来人と共に取り入れていった。

高句麗の若光王が関東の高麗郡主となり東国の開発を行った様に、次々と渡来してきた人々によって国土と殖産が開かれてきたのが、日本列島が抱いてきた歴史だ。

 

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