第Ⅱ章 アジア世界の亡命地 日イズル国

アジア世界の果て、亡命地だった日イズル国

ヤマト王朝の渡来説がかなり広がってきたことで今では万世一系と言う建前的な考え方ではなく、日本の王朝は何王朝か存在していたと考える方がよりリアルになってきている。

正史の世界では、初代天皇から一系の王家が代々続いてきたとされてきたが、巷説の世界では「中大兄皇子は百済王子のキョギである」とか、天武天皇は高句麗のヨン・ゲソムンなど、王統は幾度となく渡来人による政権交代があったことが知られている。

今はまだこれらを歴史として学ぶことは難しいが、古事記・日本書紀は無いものと思って、こうした表側では知られてこなかった歴史の裏側について一度まとめてみたい。

八世紀の日本人が、それ以前の歴史に存在した八百万の始祖たちを、古事記・日本書紀という二書に纏め王家を「万世一系」としたのは見事という外ない。現代の私達でさえ、彼らが創作した日本神話というファンタジーを信じている。

それだけに逆に一系にぎゅっと纏めた歴史を解きほぐし、この国をつくり上げた何系もの王たちの興亡を理解するのは至難の極みだ。万世一系に固まった頭を解したとしても、容易には受け入れがたい事ばかりだが、理解を超えた言葉に耳を塞いでいたのでは、いつまでも真実に近づくことはできない。一系で無いなら、日本の王達はどの様な系譜を辿ってきたのか?

まず、アジアの系譜を受け入れる日本列島について考えてみる。一万年以上前から日本列島に住んでいた先住の縄文人以外の祖先は、弥生時代〜古墳時代に海を渡ってやってきた。古代アジア世界で、国を滅ぼされてしまった王族や民族は大国や強国の少ない東アジアに逃げることが多かった。