【前回の記事を読む】「一人で全部育児をする。だからどうか子どもを産んでほしい」――しかし夫は家事も育児せず、これまで以上に「子ども」になった

分身の男

結婚前には突然右脚のふくらはぎに割と大きな柄のタトゥーを二つ入れた。何度見ても何を表現しているのか分からず、それが何なのか何度聞いても忘れてしまうのだが、夏になると毎年、せっかくだから短パンを履けばいいのに、となぜか感じてしまう。

タトゥーを入れる日、私は仕事で、外は雨が降っていて、夫は母親に送迎してもらったと言っていた。週に五日は飲みに出かけ、行くと何軒もはしご酒をするので、帰ってくるのは明朝近い。

それでもちゃんと普通の顔をして翌日会社に行くところが好きだ。頻繁に飲みに出かけるくせに家で晩酌は一切しない。そこもまた私好みなのである。

貯金や節制、努力などという言葉がもっとも似合わず、だけど仕事も気遣いも人並みを超越してできるので、ギャップがあって誰からも好かれる。私ができない分、彼には思い切りしたいことをしてほしい。

なりふり構わず未来など考えず、今日この一日だけを見つめて生きてほしい。父親になんてならなくてもいい。だって私があなたをずっと父親にしてあげるから。

子どもに腹が立てば怒りをそのままぶつけてもいいし、その時私はクッションにでも仲を取り持つ存在にでもなる。今月稼いだお金は、今月中に全て使い切ってしまえばいい。足りなくなったら渡してあげる。

結婚後発覚したカードローンやら何やらが、もう増えていないことを願うだけだ。額は増えていてもいいけど、せめてローン会社の数は増えていないといいな、とかその程度に。

そんな私がもっとも怖いと思っていることは、その彼に嫌われることなのかもしれない。幻滅されたくない。常に私の意識の根底にはそれがある。

夫が嫌な顔一つしない日常が、私が守りたい日常なのだ。だから私は日々を消化しながら、今日も夫に決定的に嫌われる何かが起きなかったことや、私たちの関係性にマイナスの変化が生じず一日が過ぎたことに安堵し感謝する。

時々その緊張感から解放されたくて、だから私は夫の不在によっても守られている。

夫がいない日、夫がいない夜、私は地雷を踏むこともないし(地雷を踏んだことなんてそもそもほとんどないし、夫はそんなに怒りっぽい性格でも細かいことが気になる人間でもない)、嫌なところを新たに何か見つけようもない。