【前回の記事を読む】私は会社で静かに孤立していき、最終的に社長室に呼ばれた。終始優しい顔で私の話を聞いてくれたが、社長が私に言ったのは…
働きたい女
働き方改革だとか女性が活躍する社会だとか家庭と仕事の両立だとかが叫ばれても、実際に私の周りで本当に仕事を人生の中心に据えて努力し続けている女など米ちゃん以外にはいたためしがない。
子どもが熱を出した時、私は仕事に穴をあけたくないから必死で努力している。子も私も健康な間に、必ず手を打ち安全策をいくつも用意している。
見えないところでこれでもかと汗をかき涙を流し、そうやって仕事にしがみついている。産まれた時から病気持ちだったとか特性が⋯⋯とかそんなことはなかったけど、それなりに保育園では定期的に病気が流行るし、菌はもらってくる。
子どもたちの間でより強く育った菌は、漏れなく私の体内にも入り込んでくるし、高熱だって出すし、薬がないと働けない日もある。
それでも私は、顧客に対しても同僚に対しても会社に対しても恥ずかしくないだけの、責められるところの一つもないような隙のないスケジューリングとマネジメントをしているのだ。家族の予定調整や、ご機嫌伺いにだって余念はない。
そこの覚悟が足りないのが、いわゆる女である。だから男女間の平均年収の差は縮まらないし、育児が一段落してから仕事を再開する人の能力の低さには辟易する。
普通の感覚で考えれば、家事育児のマルチタスクを日々こなしていればそれなりに効率化する能力は上がりそうなものだが、そうはいかないのが主婦という生き物のようだ。
話が長くて的を射ない。「これは何の時間なのだろう」とこちらが虚無になるような相手、それが私にとっての働く女たちのイメージだ。
そしてそんな女たちと私は決定的に違う人生を歩みたいのだ。一緒にされたくない。だから米ちゃんが好きで、米ちゃんとなら分かり合える。
仕事を頑張るためにも、恋愛のアウトソーシングも必要不可欠な遊びなのだ。
「そうそう、副業の方もそこそこうまくいってるよ」