消化する女

三十三歳。地方生まれ、地方育ち、地方住み。分譲マンション三十年ローン四年目。既婚で子は一人。夫婦円満。結婚指輪は所有していない。朝食はナシ派。マスカラと口紅はもう何年もつけていない。

毎日を生きる。意識せずにそれをすることは難しいが、生きやすさの濃淡ならある。今以上の幸せはもうこの先の人生で訪れないことが決定事項であるような気持ちの日だってある。

そういう時私は、この瞬間にたとえ人生が終わっても後悔はしないだろうと考える。それはまるでこの先出合う良くないことを避けたくて怯えていて、「今この瞬間に人生が終わることを望んでいる」ようにも思える。

一方で全てに蓋をしてしまいたい、息をしているだけで罪を犯しているような気持ちになる日もある。(こちらの比率の方が圧倒的に高い)人と接すると酷く疲れるくせに、対人援助職が間違いなく適職であり、カウンセラーという現職が天職だと自負している。

五歳、六歳、七歳と年齢が一つずつ上がることが私にとっての一大事だった頃。一年という単位はとても長く重く、例えば五歳と六歳では、あらゆる事象に対する感じ方や捉え方が全く異なっていた。

二十歳になった頃にはそんな感覚からは遠ざかっていて、現在地がまだ人生の折り返しにすら近くないという現実に、軽く絶望した。

それからだろうか。私はその気が遠くなった感触を一時停止させたまま、毎日をただただ(でもそれなりに懸命に必死に)消化するようになった。

化粧をマナーとして三日に二日はするようになった頃からは、毎日カレンダーにバツ印をつけて生きている。一日の終わりにバツをつける。

ふと気付くと三日分くらいのバツがたまっていることがごく稀にあって、そんな時はずいぶん気分が良い。

私は人生を、自ら、消化しているのだと感じさせてくれる。今日を無事、消化することができたのだと。