【前回の記事を読む】浮気相手との話を楽しそうにをする彼女だったが…「できなかったのね」スマホ画面には真っ赤に染まった"あるもの"が写っていた
麻痺する女
記者という仕事は、私が大学を卒業して一番初めに就いた職で、あの数年間を超えるような濃さの時間はいまだかつて訪れていない。
地方の良家で生まれ、そこそこ恵まれて育ってきた。小さい頃からなんでもできて、ピアノは学校でも近所でも私より上手い人は姉も含めていなかったし、勉強も不真面目だった割に良くできた。
一人暮らしにはなるが、帰ろうと思えばバスですぐ帰れるような、そんな距離感にある国公立大学に進み、大学生活を謳歌した。
そしてその大学のある県でもっとも大きな会社に就職しようと決め、いくつかエントリーし、なんとなく楽しそうでなんとなく縁があったローカルテレビ局に入社した。
そこではまるで人間扱いされない奴隷のような働き方をさせられたもので、先輩も上司も後輩たちも、全員が不憫に思えて仕方なかった。だけどそう感じている自分が一番不憫だった。
大学時代何度も海外をひとりで巡り、せっかく身につけたネイティブばりの英語も、糞の役にも立たない毎日だった。
農家を訪ねて田んぼに入ることはあっても、英語で今日の天気や気分や昨日見た映画の感想を言い合うことなどない。
今まで培ってきたあらゆる能力と、私を形作ってきた個性の欠片が、スピード感をもって錆びて廃れていくんじゃないかと恐怖に駆られた。
だが間違いなく怒涛の日々ではあった。人の生死にかかわることや犯罪、その他日常生活ではまず出合えないであろう事柄と常に接し、それらをさばき、世に発信し続けていた。
当時の働き方は間違いなく異常であったし、精神的にも肉体的にも耐えられた自身の強靭(狂人)ぶりには誇りを持っている。