「人格と人品」

人格(信用、信頼)とは、法(国内法、国際法)と、歴史(人類史)の習熟と実践により生成される。

夫婦別姓や、同性婚、大麻、売春等の解禁論に疑義を抱く様では、現代に於いて既に貴方の人格は問われる羽目となる。

「基準」とは自らが創り出す人工物にすぎない。

この世に、「基準」なんて構造物は存在しない。

この世どころか、宇宙にすら「基準」なんてものは存在しない。

「基準」とはヒトの狭義が創り出す、ただの信奉にすぎない。

「人格が豊かである」とは、己が狭義に盲目的に走らず、「悪法も、又、法なり」の精神で遵法を尊び、実践を心掛ける事である。

哲学的パラドックスから考察すれば、法には「悪法」以外存在しないともいえる。

人品(品性)とは、哲学(宗教、自然科学)の深学と、無限の思索により生成される。

端的に申し上げれば、「無常」に尽きる。

無常が理解出来れば、「達観」が出来る。

生まれた者は、死ぬ。

美しい乙女は、老女になる。

盛者は、廃れる。

強者は、討たれる。

「達観」を得ると、民族、宗教、文化、イデオロギー等の相違は何の問題でも無くなる。

その問題が無くなれば、戦争、紛争、虐殺等の争いの種が無くなる。

「人品が卑しくない」とは、「無常」を知り「達観」を得る事である。

試し読み連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

 

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