「幻」
年の瀬に熱が出て、体調を崩した。
正月の長期休診を懸念し、用心の為、某大病院を受診したところ「風邪です、放っておいたら三日で治ります」と言われ、一剤の薬も処方されず、安堵して、そのまま帰宅した。
ところが、正月三が日に39度以上の高熱が出て、息が苦しいが、某大病院は正月休み。
年が明けて、やっと某大病院に行くと、肺に影。「細菌性肺炎」とのことで、菌を殺す抗菌薬を処方され服用。
一週間後、某大病院に肺の確認に行くと、更に肺の影が濃い。「抗菌薬では効かない」と今度は、抗生剤を処方され服用。
更に一週間後、某大病院に行くと、更に更にの影が濃い。「細菌性肺炎ではなく、間質性肺炎の一種である特発性器質化肺炎だろう」との事で今度は、ステロイド剤を投与。
発症から25日後に、ようやく、正しい病気に対する、正しい薬に辿り着き、ステロイド剤が効いて、肺の影は徐々に薄くなり、それなりに「息が出来る」様になった。
私は「非結核性抗酸菌症」を三十年来患っており、毎年、数度は「肺炎」に罹患しているが、老境の「間質性肺炎」は、完全に「死」に直結している。
私は、今回の肺炎で、人生で初めて「死」が見えた。
「死」を見て、何が見え、何を考えたか?
そこは、何一つ物が無い、広い倉庫、広い講堂、広い体育館。その先は「白い砂漠」。
人影も、物体も、景色も、色も、空も、「何も無い、白く、広い、砂漠」だ。
そこには「必要な物」が、何一つ無いのだ。
金も、財産も、地位も、名誉も、信条も、哲学も、積み上げた学識も。
大好きな、コレクションのクラッシックカーも、大好きな、手巻きの腕時計も。妻も、子供も、親も、兄弟姉妹も、友人知人も。
誰も居ない。何一つ無い。唯、私一人が「何も無い、白く、広い、砂漠」に居る。
やっと判った。この世には「要る物、必要な物」は、何一つ無いのだと。
死ぬ時は、金も、財産も、地位も、名誉も、信条も、哲学も、積み上げた学識も。
大好きな、コレクションのクラッシックカーも、大好きな、手巻きの腕時計も。
妻も、子供も、親も、兄弟姉妹も、友人知人も。
何もかも「この世の全て」を捨てて、「一人で、裸で、何一つ持たず、逝く」のだと。
この世に在るもので、死の旅に必要な物は 何一つ無い。
金も、財産も、妻も、子供も、親も、兄弟姉妹も、友人知人も、全てが不要である。
要するに、この世の全てが、「幻」であるということだ。