【前回の記事を読む】血で血を洗う争いを終わらせるために…天武天皇が考えた“権力トーナメント”の仕組みとは
第一章 『古事記』の時代背景を探る
国家安泰を『古事記』に託す
こうなると、国内の統治だけを考えれば良くなる。かと言って、国外のことを意識しない訳ではない。直接戦火を交えるということではなく、国力を増し、民を豊かにする、そういうレベルでの戦いを始めようとしたのである。それがひいては国防に繋がる。
そういった思いの中で、先の五つのことを実行することが、未来永劫安寧な世の中を保つための方策であり秘訣と考え始める。そして、その時にハタと気付いたことがある。それは、自分の考えとは違う天皇が現れた場合、これまでの気付きと努力がすべて無駄になるのではないかということである。
どうすればいいのか。文書として書き遺すことを考えた。それが『古事記』だったのである。つまり、『古事記』は天武の問題意識の上に立って始められた「日本」構築のプロジェクトだったのである。天武は五十歳になっていた。
当時は人生五十年の時代なので、残された年数はあまりないと思ったことだろう。与えられた残りの人生をどう使うか、その人の問題意識によって過ごし方が全く違う。小物は自分のためにだけ使い、大物は周りの人や国家・社会のために使う。
これから『古事記』を読み解いていくのだが、読者諸氏にはその前に「邪心」を取り払って欲しいと思っている。というのは『古事記』が求め、描いた社会は崇高だからである。「蟹は自分の甲羅に合わせて穴を掘る」という諺もある。
自分が権力の頂点に立った時に何を考えるか。その観点から天武天皇を見てしまえば、何も見えなくなる恐れがある。今まで多くの学者・文化人がこの書の読解にチャレンジをしてきたが誰も読み解くことができなかったのは、そんなところにも原因があると思っている。
要するに、読解の妨害をしてきたのは自分自身、心理学で言うところの「投影」である。そうならないためにも純粋に天武の心情と一体になって考えて欲しいと思う。